昨年末あたりから、ある違和感が拭えずにいました。今のベトナムは好景気なのか、それとも不景気なのか——鋭かったはずの私の肌感覚も賞味期限切れか。と、うまくつかめなくなっていたのです。その答えは、思いがけない商談の中で見えてきました。
昨年末から現在に至るまで、私はベトナムの政治と経済に対して、ある種の違和感を感じ続けていました。今のベトナムは好景気なのか、それとも不景気なのか。長年この国を見てきたつもりでも、その感覚がうまくつかめない時期が続いていたのです。
私の主戦場は、ベトナム最大の商業都市ホーチミン。街には相変わらず人も車もバイクも溢れ、活気そのものは何も変わっていません。その一方で、オフィスワーカーの就職難という話も、あちこちで耳にするようになりました。もっとも、これ自体は「よくある発展途上国の一面」として片付けることもできます。富裕層と低所得層の所得格差が広がっていくのは、急成長する国にはつきものの現象だからです。
しかし、インフラの動きだけは、明らかにそれまでとフェーズが違いました。街を歩いているだけでもわかるスピード感で、毎日のように新しいインフラ整備計画が承認され、これまでとは比較にならない速さで工事が始まっていく。こうした光景は、これまでのベトナムではまず考えられないものでした。しかも、その整備を請け負っているのは、今や現地の大手デベロッパーです。ODAが主流だった10年前とは、明らかに景色が違います。
その違和感の正体が、ある商談の中でようやく腑に落ちました。相手は、トゥーティエム地区の新都市開発を手がける現地デベロッパー。話題の中心にあったのが、ホーチミン国際金融センター(VIFC-HCMC)でした。最初にこの計画の話を耳にしたときは、正直なところ「またベトナムらしい、威勢のいい看板政策だろう」という程度にしか捉えていませんでした。ですが、説明を聞き進めるうちに、これは単なる看板政策ではないと気づかされることになります。
トゥーティエムに立ち上がる、もう一つのホーチミン
VIFC-HCMCは、サイゴン川を挟んだ旧市街(1区・ベンタイン周辺)と、対岸のトゥーティエム新都市区にまたがる、約900ヘクタール規模の開発計画です。2026年2月には首相出席のもと公式な発足式典が行われ、すでに初期の運用フェーズに入っています。整備は3段階に分けて進められ、最終的にはトゥーティエム地区に国際標準の金融街を完成させる青写真が描かれています。
税制面では、優先投資分野に対する長期の法人税優遇や、外国人専門家への所得税免除、長期の土地借地権など、他国の金融ハブ誘致策と比べても踏み込んだ内容が並びます。制度設計としては十分に「本気」の部類です。ただし、それだけであれば「野心的な政策目標」という、これまでもベトナムで幾度となく見てきた話に留まっていたかもしれません。
速さそのものが、メッセージだった
面談の中で、開発事業者の方が語っていた見立てが、私にとって一番の腑に落ちどころでした。それは、ベトナムがこれほどのスピード感でVIFCを前に進めている理由の一つが、単に開発を急ぎたいからではなく、透明性とスピードそのものを見せつけることで、外国企業が抱く「本当に大丈夫なのか」という不安を払拭するためではないか、という指摘です。
この見方は、私自身がこれまで現場で繰り返し耳にしてきた、日本企業側のベトナムに対する典型的な不安——行政判断の見えにくさ、政令変更への対応の難しさ、グレーな折衝が発生しやすい構造——と、ちょうど裏表の関係にあります。日本企業が「様子見」を続ける最大の理由が制度の不透明さだとすれば、ベトナム側がその不透明さを自ら払拭しにいく動きこそが、VIFCの爆速の正体なのかもしれません。壮大な看板を掲げることと、実際に「速く、見える形で」動かして見せることの間には、大きな距離があります。ベトナムは今、後者を選んでいるように見えます。
その「証明」は、国際的な物差しにも表れ始めている
この見立てを裏付けるように、対外的な評価にも変化が出始めています。2026年の世界金融センター指数(GFCI39)では、ホーチミンは前回から11ランク上昇して世界84位となり、ASEAN域内ではシンガポール、クアラルンプールに次ぐ3位に浮上、バンコクやジャカルタを上回りました。同年にはスイス・ダボスでのWEF年次総会でも現地代表団がVIFC-HCMCを直接発信し、「後発だが、他とは違う」という立ち位置を打ち出しています。
なお、このセンター構想はホーチミン単体ではなく、中部ダナンと連携する二拠点構想として制度化されている点も付け加えておきます。金融取引をホーチミンが、地域金融の一部機能をダナンが担うという役割分担で、一都市の開発案件ではなく、国家レベルの布石であることがうかがえます。「言うだけ」ではなく、外部の指標にも結果が伴い始めていること。これもまた、透明性を証明しようとする姿勢の延長線上にあると見てよいのではないでしょうか。
2028年という分水嶺と、日本企業がいま取るべき距離感
面談の中で、開発事業者の方はもう一つ、印象に残る見立てを口にしていました。今のペースで進めば、2028年あたりが一つのターニングポイントになるのではないか、という感触です。もちろんこれは現地関係者の個人的な見立てであり、確定した政府方針として受け止めるべきものではありませんが、24年間この国の変化を見てきた身としては、頷ける時間軸だと感じました。かつて「バイクの洪水」と形容された都市の景観が、メトロやEVタクシーが走る街並みへと姿を変えるのに要した時間を思えば、次の数年で金融面でも同じような跳躍が起きても不思議ではありません。
日本企業にとって重要なのは、この動きを「また壮大な計画が出た」という一過性のニュースとして消費しないことだと思います。ベトナムが自ら「速さ」で不安を払拭しにきているのだとすれば、日本側がなお「様子見」の姿勢を続けることは、機会損失であると同時に、相手の努力を見誤ることにもなりかねません。今すぐ具体的な投資判断を下す必要はなくとも、現地の制度動向を継続的に追いかけ、信頼できる現地パートナーとの接点を今のうちに作っておくこと。静観から並走へと、距離感を一段階近づけておくことが、2028年という分水嶺を前にした日本企業にとっての、現実的な備え方ではないかと考えています。
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※本記事は、現地での取材と公開情報をもとに執筆していますが、ベトナムの政策・制度は変化の速度が非常に速く、内容が刻々と更新される性質のものです。記載内容の正確性には注意を払っておりますが、最終的な判断材料とされる際は、読者ご自身で最新情報をご確認いただきますようお願いいたします。